たまたま昨日(2019/07/27)にフォローしているブログに米国ラトガーズ大学の教授へのインタビューが掲載されていて、気になったのでご紹介します。
介護も含めて、人が亡くなるときはどうして欲しいのかという課題があったが、その中で日本人とアメリカ人の死生観が似ているところがあるなと。
「畳の上で死にたい」というのと「自宅で看取られたい」というところだ。
“What should doctors be doing to be more vigilant?”
“Well, I’m not a PCP, and I really don’t know what the nature of their day-to-day work is like.” So I did a one-year sabbatical in primary care in Rochester shadowing PCPs in a broad spectrum of clinics — both poor and affluent, and in seeing what PCPs work lives were like and what they were asked to do, and not asked to do.
この教授が結論からは、亡くなる直前までICUに入っている人が多いけど、これって無駄が多いのではと。
病院では仕方ないというのもあるが、平穏死を迎えられないよね。
死を迎えることを教わっていないのが課題かな。
スイスは自殺ができる自殺大国である(現在は外国人に対して規制を掛けている)。
つまり、死ぬ間際での医療を「やりすぎ」という結論に達しているわけです。
本能で生きるようになると、死ねなくなります。
元気のとき、「人生、もういいでしょう」って思っていても認知症になったりしますと理性が働かなくなり、単なる生存本能だけになると、「死にたい」と言えなくなり、結局管をたくさん突っ込まれる羽目になり、最終的に緩和ケアどころかQoLを下げられながら生かされてしまうと。
やり過ぎも足らないのも問題。
この微妙なバランスはどこにあるのか。
パートIIに続く予定です。